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zoom RSS ランジェロ選・『俺たちのフィールド』11の謎  【My Best 11】

<<   作成日時 : 2013/02/10 00:56   >>

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 ブログ開設当時から繰り返し取り上げてきたサッカー漫画の名作、『俺たちのフィールド』(作:村枝賢一)。
 満を持して、この私の青春の1ページとも言える作品を取り上げてみたいと思う。勿論これは初めての事だ。

 現在のように、日本においてフットボールというスポーツが確固たるプレゼンスを築いていなかった時代。
 Jリーグ創設時は爆発的ブームを巻き起こしたとはいえ、日本人がサッカーというスポーツの本質を捉えていたとは言いがたい。マスコミもブームを消費することが前提だったはずで、情報もまだまだ少なかった。
 そんな時代に描かれた『俺たちのフィールド』だからこそ(実はJ開幕前から連載していたのだが)、リアルなサッカードラマを描きながらも、そういった時代の壁を乗り越えるのに苦心している箇所が多々ある。

 今回は、そんな『俺フィー』に残された幾つかの謎を、俺ベス11方式で取り上げてみた。
 これはあくまで作品に対する疑問点であり、重箱の隅を突いて微粒子レベルのツッコミ所を穿り出したりしたものではない、断じて。
 何より私は『俺フィー』を愛している。これだけははっきりと真実を伝えたかった。


 …ということで、見ようによっては小学生並みの野暮な疑問を挙げていきます(ストーリー順)。村枝先生及びファンの方はどうか怒らずに、タクローのように「まぁよかたい、よかたい!」と寛容な心で読み流して頂ければこれ幸い。



@まるで野球場のベンチ

 物語冒頭、主人公の高杉和也はまだ小学生。その父、貫一が現役時代の話。
 彼が所属するヤマキ自工は、天皇カップ決勝を戦っていた。

 この画像は、貫一が後に伝説となる“かえる跳びオーバーヘッド”を何度も試し、失敗しては頭部から落下するという大変危険なトライを行っていた時のもので、首にダメージを負いベンチに一旦下がる場面である。繰り返すが、試合終了後でも選手交代場面でもなく、あくまでも試合中だ。
画像
 恐らく“天皇カップ”は実在する天皇杯をモデルにしたものであろう。だとすれば、舞台は元日の国立霞ヶ丘競技場のはずだが、何故かベンチがピッチサイドではなく観客席の下に設置されている。
 まるで野球場のベンチのようだが、これは国立ではなく、隣の神宮球場で試合を行っていたのであろうか?そもそも貫一はピッチサイドで応急治療を行えばいいものの、わざわざベンチまで下がり、あろうことか勝手に入り込んだ嫁の晶子と雑談までしている。こういった公私混同が許されるくらい、牧歌的な時代だったのだろうか。
 

Aこの人誰?

 物語は進んで、冬の選手権を優勝した和也が高校を中退し、アルゼンチンへ留学。
 その名を彼の地に刻んで帰国した日本では、空前のJリーグバブルの真っ只中だった。浦島太郎状態の和也が国立で始めて観戦したJの試合が、ヴェルディ川崎vs横浜フリューゲルスである。
 スタジアムの熱狂ぶりにただただ呆然としつつも、和也の目はピッチを凝視する。そこで躍動するスター達の中に、この選手がいた。
画像
 で、この人は誰なの?という疑問。後に和也が中心選手となる東京バンディッツのライバルとなるのが、当時最強を誇ったヴェルディ川崎なのだが、明らかに主力選手であろうこの画像のKAZUっぽい人は、和也との対戦時には一度たりとも姿を現さないのだ。
 一応、同じページにラモスっぽい人も描かれているのだが、こっちは後にラモスによく似た“アモロス”という選手が出てくるので、その人だったのだと脳内補完が可能。しかしKAZUっぽい人は不在のままだ。
 「その後にセリエAに移籍したからじゃないの?」という推論も可能だが、その割には日本代表にも選ばれている様子が無い。93年〜97年のKAZUは誰がどう見ても日本のエースストライカーであったから、選出されないのはどう考えてもおかしいのだ。

 とりあえず、ここでは「KAZUというスーパースターをそのままもどきキャラにするのを惜しんだ村枝先生が、伊武という強烈な個性の持ち主へ換骨奪胎したんじゃないの?」という分析はノーサンクス・オールライト。


B謎のスタジアム席割

 和也は、かつて父が所属したヤマキ自工をJリーグに昇格させるために(当時はJ1・J2の昇降格システムが存在しない時代)入団。、無気力なチームメイトに敢えて真っ向から反発し、加入早々から衝突を繰り返す。
 そんなバラバラな状態で迎えたナビスコカップ。昇格にはこの大会の優勝が最低条件とされる(あくまでこの漫画オリジナルの設定です)後の無い状況で、初戦の相手はあのヴェルディ川崎。

 当時のヴェルディは人気面でも一つの絶頂期にあった。スタジアムを埋め尽くしたのは緑を身に纏った若者達。J昇格の見込みが少ない社会人チーム、ヤマキのサポーターが人数の面で画像のように大きく水を開けられるのは、仕方の無い事であったろう。
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 しかし、普通ならサポーターはゴール裏を応援席にするはずである。席種でいえば、一番値段が安い自由席だ。
 勿論スタジアムによってローカルルールに違いはあるものの、そういった分け方が一般的であろう。勿論、アビスパ福岡などの例外はあるが。
 ここで注目してほしいのは、このスタジアムのヤマキのサポーター団体は、ゴール裏ではなく何故かメインスタンドの一角に陣取っている事だ。ヴェルディの当時のホーム、等々力競技場ではないようだし、これは恐らくヤマキ自工が借り受けていた東京のどこかにあるスタジアムであろう。
 このスタジアムは、一番試合が観易く値段が高いはずのメインスタンドに応援席を設定しているのだろうか。それとも、サポーター団体の独自のルールによりメインスタンドに集まっているのか、はたまた両ゴール裏をヴェルディのサポーターに占領されてしまったのか。
 村枝先生が、バックスタンドに席を取る高校サッカーの応援団を参考にしたという事も考えられるが、これはメインスタンドではないので選択肢から外した方がいいかもしれない。


C田尻恵一のビフォー&アフター

 ヤマキ自工、後の東京バンディッツのCBとして、初登場時からポジションを確保し続けた男がいる。
 その名は、田尻恵一。元WWEレスラーとは関係が無い。

 そんな田尻が初登場したのが、ナビスコカップ初戦のvsヴェルディ。この試合で最終ラインをハーフウェーラインを超えた所まで押し上げてしまい、オフサイドを取れずに失点という大失態を犯す。
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 このルールは、この試合を読むまで知らなかった。村枝先生ありがとう。2008年のジェフの奇跡的な残留試合において、同様のケースから谷澤達也がとどめとなるゴールを奪った際、真っ先にこの場面を思い出したものだ。

 さて、下の画像はJリーグ昇格後、Jの舞台での博多デルフィネスとの試合。バンディッツの新助っ人であるウズベキスタン代表、レジャストロニーク・ユーリ(通称・ニーク)がJデビューを飾った試合でもある。
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 幸の薄そうな顔から、一転して女の子に好かれそうなベビーフェイスに大変身。コンタクトの多いサッカー選手は整形手術など受けられないだろうし、その変貌ぶりは危険な領域へと突入している。

 彼に一体何があったのだろうか。ここまで顔が変わった選手は、彼以外には作中に登場しない。
 リーグ最小失点を誇る鉄壁のバンディッツ守備陣。そんなディフェンスをニークと共に支えた彼が最後まで代表に選出されなかったのは、あまりの見た目の変化にJFAが何らかの疑惑を持った可能性すら浮上してくる。


D両チームはキックオフ直前には適当に入場すべし。ただしハーフタイム後は整列して入場すべし

 ナビスコカップ・グループリーグ第二戦。相手はここまで完膚なきまでに叩きのめされている昇格争いのライバル、博多デルフィネス。

 こんな大事な試合なのに、両チームはタイミングを合わせることもなく、列を作るでもなく、各々がバラバラに入場してくる。
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 草サッカーではない限り、公式試合では両チームが整列して主審を先頭に入場してくるものである。「そろそろ俺達も入場しようぜ!」というような描写は当時多くのサッカー漫画で見られたので、村枝先生だけに抱く疑問ではないだろうが…。

 かと思えば、何故かハーフタイム後でもきっちり整列してピッチに登場することも。
 こちらは先程のデルフィネス戦とはストーリー展開がかなり飛んでいて、物語のクライマックスであるフランスワールドカップのグループリーグ初戦・日本代表vsアルゼンチン代表での1コマ。
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 一般的には、後半キックオフ前はどちらのチームもバラバラに入場するはず。さっきとは逆である。『俺フィー』世界では、選手入場の慣習が現実世界とは逆様になっている可能性がある。


Eごっつぁんゴーラー?

 こちらもヤマキ自工→東京バンディッツで登場時からスタメンの座を守り続ける男、桜場慎二。
 肝心な場面でミスを連発し、サポーターから「桜バカー!」と揶揄されるようなネタキャラだが、“ごっつぁんゴーラー”として得点感覚を開花させてからは押しも押されもせぬ主力へと成長。代表監督である鹿野からも「ラッキーを呼び込む男」として重用され、ワールドカップの舞台を始めて踏んだ日本人の一人に名を連ねた。

 このように不器用な努力型FWというイメージが強いが、ツートップに騎場とポストプレーヤーである西合志が配置されていた時期は、何と彼はMFとして起用されていたのだ。
画像
 比較的プレーのわかりやすいサイドMFやウイングではない。ダイヤモンド型の中盤の右である。それなりの戦術理解度とスキルが無ければ務まるまい。桜場は一般的なイメージとは違う、ユーティリティなプレーヤーだったのだろうか?


F桜場に任せられた役割は何だ?

 そんな桜場も、チームがJリーグに昇格し騎場が移籍してからは、FWの一角として不動の定位置を確保。
 優勝のかかるバンディッツは、セレッソ大阪をホームに迎える。そこには、ドリブラーからワンタッチゴーラーへと執念でプレイスタイルを変えた騎場が乗り込んできた。
 鬼気迫る騎場に早々と2ゴールを決められ、劣勢のバンディッツ。だが、前半終了間際に桜場がゴールを決め、反撃ムードで折り返すことに成功したのであった。

 だがここでの実況が酷い。
 「バンディッツ 起死回生の1点は まさかの桜場がゲットォーー!!」
画像
 「まさか」とは一体…実況に問いたい。お前は、FWが何のために試合に出ていると思っているんだ?桜場が試合で任されている役割は、ゴールを決める事じゃないのか?

 まぁ、最初のゴールはエースの高杉ではなく桜場が決めた!という意外さを伝えたかったのだとは思うが…。


G謎のベールに包まれたニークの代表歴

 圧倒的なフィジカルと守備センスで東京バンディッツを支える中心選手、ニークことレジャストロニーク・ユーリ。
 彼がキャプテンを務めるウズベキスタン代表は、現在は中央アジアの雄として日本のサッカーファンにもすっかりお馴染みとなった。だが、彼の出身国はかつてソビエト社会主義共和国連邦を構成する国家だったことはわざわざ書くまでもないだろう。
 ソ連を代表するサッカー選手としてキャリアを積んでいたニークだが、東欧民主化革命とバルト三国独立に始まるソビエト連邦崩壊により、その人生を大きく変えられてしまう事となる。
 そんな彼の経歴には、大きな謎が一つ存在する。この画像をご覧頂こう。
画像
 ニークを既に知っていたモロ岡アナウンサー。この後も2コマ分を使い、やたらとニークが「代表候補どまり」という事が強調されている。
 まだインターネットが普及していない時代だ。モロ岡氏は情報収集を怠らない事情通ではあるが、ニッポン放送のサッカーアナウンサーが得られる情報といっても限られているだろう。つまりそれだけ海外メディアに流れている程度の、ニークを語る上で外せない基礎知識のようなものであるはずだ。

 大方、せいぜいテストマッチへの出場しか許してもらえないベンチ要員か、いつも代表の試合出場メンバー登録からは外されてしまう程度の扱いだったのだろう…一瞬そう思った私だったが、そのすぐ次のコマで首を捻る事になる。右端の文字がぼやけていて申し訳ない。
画像
 ニークはベンチを暖めていたわけでも、代表メンバーに選出されていなかったわけでもなく、国際試合にちゃんと出場していたのだ。しかも代表キャップ30(全てが国際Aマッチとは限らないが)といったら立派な出場成績だ。これで「代表候補どまり」と語られるのには、違和感を覚えるのだが…。
 例として、現実世界の日本代表において近いキャップ数の選手を挙げてみたい。皆さんにも私の違和感を少しは共有して頂けると思う。()内はキャップ数である。
佐藤寿人(31)
松井大輔(31)
小村徳男(30)
柳本啓成(30)
西澤明訓(29)
柱谷幸一(29)
本田泰人(29)

 いずれも代表で存在感を示し、Jリーグの歴史にもその名を残している選手達である。30キャップという試合出場数がいかに重いものであるか、理解して頂けただろうか。ワールドカップへの重い扉をこじ開けたあの岡野“野人”雅行ですら、25試合の代表戦出場に留まっているのだ。

 この謎に関して、2つ仮説を立ててみた。

1.『俺フィー』世界では、「ワールドカップに出場出来なかった選手は押し並べて“候補止まり”とみなされる」という独特の認識が一般的に浸透している。
 だとしたら、仮にEUROに出場したとしても「候補止まり」なのだろうか、という新たな疑問が湧く。
 これまた現実世界に当てはめるのは適当でないかもしれないが、ひとまず上記の選手達からワールドカップ出場経験のある選手を除いて考えてみよう。
 本田、柱谷兄、柳本、そして寿人…彼らを「元日本代表」という経歴で語ってしまっては不都合なのだろうか。あくまで「候補止まり」と見なさなければならないのだろうか。そうなると釜本やKING KAZUは一体どうなるのだ…。
 そもそもウズベキスタンは一度もワールドカップに出場していない。この仮説通りならば、ニークはソ連代表だけではなく、ウズベキスタン代表でも「候補止まり」という事になってしまうのだが…。

2.『俺フィー』世界において、代表チームで不動のレギュラーを奪えない選手は、世間からは「代表候補どまり」として扱われてしまう。
 ニーク加入後のセレッソ大阪戦にて、かつて彼がソ連代表で一度もDFのレギュラーを奪えなかったシェイキンとユーリがセレッソの助っ人外国人選手として登場する。あの頃のように大きな壁となって、ニークの前に立ちはだかる現ロシア代表の二人。彼らの因縁話がストーリーの重要なパートになっているのであった。
 よってこの仮説を立ててみたのだが、そうなると例えば現在の日本代表においては乾貴士や細貝萌、ハーフナー・マイクなどの海外組までが現状において「候補どまり」という事になってしまう。とても適当とは思えない。

 どうやら、私が立てた仮説はどちらも説得力に欠けるようだ。ならば、何故ニークは国際試合に30試合も出場しながら「代表候補どまり」であると常套句のように語られていたのか。
 記事アップ後に思い出してわざわざ追記してしまう程の、作中に残された大きな謎である。


H最終予選中に謎のレギュレーション変更?

 USAワールドカップ予選までは、最終予選を一箇所もしくは二箇所で集中的に短い期間で行うセントラル開催が主流だった。96年に行われたアトランタ五輪予選もこの方式である。
 フランスワールドカップも当初はこの方式で執り行う予定だったが、中東の属する西アジアと日韓を代表とする東アジアが開催地について激しく対立したため、現在でも続くホーム&アウェーの方式へと変更された。
 個人的には独特の悲壮感が漂うセントラルよりホーム&アウェーの方がフェアだと思うので、この方式に変更したのは正しい判断だったと思う。

 困ったのは、既に1次予選からセントラル方式のつもりで連載を描いていた『俺フィー』だ。結局、こちらはホーム&アウェーに変更することなく、激しくも厳しいアジア最終予選のドラマを紡いでいく事になる。これは作品としては大成功であった。

 しかし、村枝先生にも混乱が生じていたのだろうか。この画像は、1次予選開始前に描かれたものである。
画像
 これを見る限り、グループリーグを突破しただけでは出場権は得られない。更にトーナメントの準決勝(もしくは3位決定戦及びプレーオフ)でもう1勝を上げなければ、ワールドカップへの切符を手にする事は出来ないのだ。

 だが、この漫画のアジア最終予選での対戦はウズベキスタン・韓国・イラン・サウジアラビアのみ。この4試合で日本はワールドカップ出場を決めているのだが、本来ならばこの時点ではまだグループリーグを突破しただけの段階に過ぎないのだ。
 これは今でも真面目な疑問として残っているのだが、作中もしくは村枝先生へのインタビュー等で何か補足的な説明があったのだろうか。詳しい方はご一報ください。


I恐るべきアジア最終予選スケジュール

 セントラル開催方式は、短期間で勝負が決する。選手を送り出している各クラブからしてみれば、都合が良いのかもしれない。
 その分、国家の威信を背負いながら連続する試合で選手は激しく消耗する。ドーハでの予選に独特の切迫感があるのは、イラクにロスタイムでの失点で引き分けたという悲劇的な結末を我々が知っているというだけではなく、短期開催ゆえの選手の疲労度合いが目に見えてわかるのも原因ではないだろうか。

 かくも過酷な最終予選。『俺フィー』世界の日本代表も、現在では考えられないスケジュールで戦っているようだ。
画像
 この画像は第二戦目の韓国戦前の様子だが、第一戦のウズベキスタン戦は何とこの前日に行われたばかり。中日無しとは少年サッカー並みの厳しい日程である。
 そう考えれば、あくまで戦略として“全試合での選手の入れ替え”を決断した鹿野代表監督だったが、選手達の体力マネージメントの面でもこの選択はベストだったと言えるだろう。日本代表サポーターからは批判の声が浴びせられていたが、ターンオーバーの先駆けとして高く評価されるべき。

 ちなみに、画像のお姉さんは日本代表の応援団長です。現実の代表サポーター集団の中心人物と比べてはいけません。


JJリーグ(所属じゃ代表スタメンは)ムリ!

 1998年フランスワールドカップを終えた日本代表選手たち。世界クラスの実力を示したリザーブドッグスの選手達は、それぞれが世界のリーグへと羽ばたいた。
 時は流れて2002年。海外のトップレベルで経験を積み成長した彼らが、日本代表のスタメンとして帰ってきた!
 ここで『俺たちのフィールド』は幕を閉じる。スタメンを占めたリザーブドッグスの活躍を思い浮かべながら、我々読者は彼らに別れを告げなければならない。

 だが、どうしても気になることが…。
 ワールドカップのスタメンに、Jリーグ所属の選手が一人しかいないのである。
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 サントスの2軍風情にポジション争いで負けるほど、Jのレベルは低いのか…。

 唯一のJリーガーである濱田(リザーブドッグス)は、横浜マリノスからモンテディオ山形に移籍。
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 リザーブドッグス様が入ってくださったおかげで、すぐにJリーグで優勝出来ちゃったよ!

 これが正真正銘、この作品の最後の疑問点。Jリーグって、そんなにレベルが低いの?
 自分がJサポだからこそ抱いた疑問ではないと思う。坂田と濱田、どちらの存在もツッコミ所満載なんだよなぁ…。

 ただし、時代背景を考慮しなければならないのも事実。当時はフランスワールドカップが終了したばかりで、3連敗で大会を去った日本サッカー界は、世界との“届きそうで届かない決定的な差”をまざまざと見せ付けられたばかりだったのだ。
 セリエAでの中田英寿の成功を例に挙げるまでもなく、海外での経験は絶対的な自信に繋がる。当時のサッカー界は諸手を挙げて「Jを捨てよ、海外に出よう」状態へと突入していた。村枝先生が同じように考えても不思議はない。
 かくいう自分自身も、「代表スタメンは全員海外クラブ所属になればいい」とか、「代表強化のためにはJリーグをどれだけ中断してもいい」などと思っていたからね…。

 そういう意味でも、『俺たちのフィールド』は時代の合わせ鏡でもあり、かつ普遍的なドラマ性両面を併せ持った稀有な作品であると思う。恐らく、今後同様の作品が生まれるとは思わない。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
J初期に出たスーファミのハドソンかどこかが出したゲームでもバラバラ入場だったので当時は定着してなかったのかも知れません… あと、社会人のヤマキでは普段メインスタンドしか使ってなかったのでゴール裏に集まる風習がなかった可能性も微レ存…?(俺フィー未読で出した苦しい説)
ポペスク
2013/02/14 21:05
ポペスクさん:
PPSC兄貴オッスオッス!初コメントありがとナス!
当時は逆にバラバラ入場の方が一般的な認識だったかもしれませんね。『Jドリーム』でもそんな感じでした。
地域リーグで試合が観辛い陸上競技場を使っているクラブだと、現在でもメインに集まる事もある…という話をつい最近聞きました。(自分のサッカー知識じゃこういうツッコミ記事は)ダメみたいですね…(諦観)。
ランジェロ(苦行先輩な人)
2013/02/27 01:54
こちらではお久しぶりです。
記事を見落としてたようなので今更ながらコメントを…。

A:大怪我で欠場or引退ということで!あるいは伊武さんの若かりし頃ということで!
B:(実際にスタジアム入った事ないんですけど)あれは違和感ありましたね…w
G:仮説2かなぁと思ってました。初登場時みたいにワンマンプレーしてればスタメン落ちはありえるかなと。
H:これは気になってました。単行本の改版時に修正でもされていれば…ですが。
J:濱田のインパクトで見落としてましたけど、国内メンバーを考えれば坂田も確かにおかしいですね。最後の場面で2002年の日本代表もどきキャラを予想する(または新キャラを出す)よりは、オリジナルで統一したほうが無難と判断したのかもしれませんねー。
dact
2013/06/10 02:46
↑あ、若かりし伊武さん、川崎に所属した時とかドーハの件で出てたような気が(
dact
2013/06/10 02:56

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